ころんくん
わん!
今回は熱田神宮の境内にある不開門「清雪門」についてご紹介するわん!
かつて熱田神宮には神宮四門と呼ばれていた4つの門がありました。
海蔵門(正門・南門)
春敲門(東門)
鎮皇門(西門)
そして清雪門(北門)です。
正門である海蔵門は国宝にも指定されていた熱田神宮を代表する文化財でした。
ですが、これらの門は昭和20年の名古屋大空襲によって焼失してしまい
今では姿を確認することはできなくなってしまいました。
しかし、清雪門だけは戦争の業火から運良く逃れることができ
神宮四門で唯一現存する最後の門として今も尚熱田神宮の境内に存在しています。
今回の記事は熱田神宮の歴史を知る上でとても重要な清雪門についてご紹介していきます。
熱田神宮の御神体である草薙剣と関係のある大変興味深い門なので
関心のある方はぜひ最後まで記事を読み進めて行ってください。
目次
1000年以上も閉ざされたいわくつきの不開門「清雪門」とは
清雪門は神宮四門の内北門として熱田神宮の境内に存在していました。
それがいつの時代かはわかりませんが別宮の東門として移転され
現在もその姿のまま境内に残っています。
江戸時代の資料からすると現在と同じ位置に清雪門があるので
移転されたのは江戸時代以前かと思います。
清雪門が不開門になった出来事
清雪門が不開門になってしまったのにはある大きな事件が関係しています。
「草薙剣盗難事件」
ご存知の方は多いと思いますが
熱田神宮には三種の神器の一つである「草薙剣」がご神体としてお祀りされています。
その草薙剣が盗まれるという大変な事件がありました。
草薙剣盗難事件
飛鳥時代の668年。
天智天皇の時代に起こった事件でした。
海外の僧侶が草薙剣の魅力に取り憑かれ熱田神宮から草薙剣を持ち出してしまい新羅(朝鮮半島)へ逃げようと試みました。
しかし、その道中天候が悪化し、激しい雨風に遭いました。
その僧侶は剣の怒りを買ってしまったと後悔をし、
やむなく熱田神宮に草薙剣を返還した
是の歳に、沙門道行、草薙剣を盗み、新羅に逃げ向く。
而して中路に風雨にあひて、芒迷(まと)ひて帰る。
— 『日本書紀』天智天皇7年是歳条
という事件がありました。
草薙剣が熱田神宮から盗まれた時に使われた門が清雪門だったので
熱田神宮としては二度と草薙剣を外に持ち出さないようにと清雪門を固く閉ざしてしまった。
これが清雪門が不開門となった出来事です。
清雪門が別宮東門に移転したのは「草薙剣盗難事件」が遭ったから
門そのものをなくしてしう動きがあったからかも知れませんね
清雪門は「オホホ祭り」の舞台になっている
熱田神宮の神事の一つに「オホホ祭り」というものがあることをご存じでしょうか?
正式名称は「酔笑人神事」という名称で毎年5月4日午後7時に
清雪門前で行われています。
この神事は草薙剣が無事戻ってきた喜びを込めて神職さんたちが「オホホ」と高笑いする珍しい神事です。
この神事はかつてこのような事件が遭ったことを今に伝えるための神事のようです。
お宝はいつ盗まれるかわからないから油断するなってことを確認する行事かな?
ちなみに酔笑人神事は清雪門以外にも
影向間社、神楽殿前、別宮前の4か所で順番に行われています。
清雪門は熱田神宮の歴史を楽しむなら見ておきたいスポット
清雪門についてお伝えしてきました。
結構面白い門だと思いませんか?
熱田神宮の境内に人知れずぽつんとある門がかつて大きな事件に関わっていたと思うと
凄みを感じてしまうのは僕だけでしょうか?
熱田神宮は全国的にもかなりのパワースポットとしても有名な神社です。
参拝してパワーをもらうのも大いに結構ですが
参拝だけでは勿体無い気がします。
歴史的な観点から境内を見ると清雪門のように面白いものがあったりします。
せっかく参拝するならぜひ色々調べてみると新しい発見があると思います。
神社の図鑑では他のサイトにはない熱田神宮の楽しみ方をご紹介しているので他の記事も見ていってください。
それでは今回の記事はここまでです。
読んでくださったあなたとのご縁に感謝します。
さようなら