今回は「一之御前神社から読み解くもう一つの熱田神宮【御祭神は日本武尊だった!?】」というテーマでお話ししていきたいと思います。
一之御前神社について調べていたらもう一つの熱田神宮の顔が見えてきたので記事にしておきます。
大前提として、熱田神宮は三種の神器の一つである「草薙剣」を祀る神社として
愛知県名古屋市に鎮座する全国的にも有名な神社です。
熱田神宮の創建は景行天皇43年(113年)と言われていて、
日本武尊が妻である宮簀媛命に草薙剣を一時的に預けていたが
そのまま伊吹山の神との戦いに敗れて命を落とし
その後、宮簀媛命が草薙剣を祀る場所を探し、熱田の地に祀ったのが始まりだとされています。
創建に関して詳しくはこちらの記事で紹介しています
熱田神宮に草薙の剣があるのはなぜ?その歴史と理由をわかりやすく解説!
このように熱田神宮は草薙剣を祀る場所として建てられた神社ということがわかります。
そのため、熱田神宮の御祭神には草薙剣を依代とした天照大御神である熱田大神というようになっています。
一方、一之御前神社は天照大御神の荒御魂を祀る神社として
本宮の背後に社殿を構える神社です。
こちらは伊勢神宮の影響を受けて建てられた神社とも言われています。
熱田神宮は伊勢神宮に次ぐ格式の高い神社です。
同じ天照大御神を祀り、三種の神器を御神体としています。
伊勢神宮には別宮として天照大御神の荒御魂を祀る「荒祭宮」
熱田神宮は一之御前神社というようになっています。
と、ここまでが一般的に言われていて表の熱田神宮の一面です。
ここからはもう一つの熱田神宮についてみていきます。
熱田神宮の御祭神は熱田大神ではなく日本武尊とした説です。
この説は、一之御前神社と龍神社が大きく関係しています。
現在、先ほどもお伝えしたように一之御前神社には天照大御神の荒御魂が祀られています。
龍神社には吉備武彦命(きびたけひこのみこと)と大伴武日命(おおともたけひのみこと)の二柱が御祭神として祀られています。
この二柱は日本武尊が東征を行うために引き連れていた両翼の副将軍です。
この二柱の貢献によって、日本武尊は東征を無事果たしたと言ってもいいほどです。
なんですが、どうやら一之御前神社には天照大御神の荒御魂と大伴武日命が祀られていたという説が過去にあったようです。
そして、「熱田神宮大宮司口上書」には龍神社は吉備武彦命と天照大御神の荒御魂が一緒になっていて
それを1686年6月5日(貞享3年4月15日)付で別社にしたと記録されています。
つまり、天照大御神の荒御魂は時代によって鎮座する位置を変えていたのかもしれません。
このことから江戸時代までは一之御前神社に大伴武日命をお祀りし、
龍神社に吉備武彦命と天照大御神の荒御魂をお祀りし本宮を囲っていたことになります。
江戸時代に刊行されていた「尾張名所図会」でも当時の熱田神宮の両サイドに一之御前神社と龍神社があることがわかっています。
そして、その中央である本宮には草薙剣と日本武尊をお祀りしていたのかもしれません。
確かに草薙剣と日本武尊はとても関係が深いとされているが
日本武尊の両翼が御祭神の天照大御神を囲む形なのはいささか疑問があります。
御祭神に日本武尊が来るとこの構図はしっくりきます。
さらに本宮で神事を行う前に一之御前神社でお供え物をしてから神事を行っていたようです。
一説によると家来に毒味をさせてからという構図にも見えることから
かつての熱田神宮には日本武尊が御祭神となっていたのかもというお話でした。
この説はあくまでも考察でしかありませんので
事実との因果関係は一切ありません。