ころんくん
今回の記事は尾張国独自の神社建築様式「尾張造」について詳しくご紹介していきたいと思います。
僕自身、建築家や大工といった職種ではないので専門家としての発言力はありませんが
神社建築様式には関心が高く、全国様々な神社へ参拝に訪れた際には建築様式もチョックしているほどです。
神社建築の中でも「尾張造」は尾張国独特の建築様式となっていて非常に歴史的・文化的にも貴重なものとなっています。
僕は尾張国(名古屋市)出身ということもあって昔から見慣れ親しんできた神社の形をお伝えしていきたいと思い今回の記事を書かせていただきます。
目次
尾張造とは
尾張造は尾張国独特の建築様式と言われ、
その特徴は本殿・渡殿・祭文殿・拝殿・蕃塀を縦一列に配置し、祭文殿からは両サイドへ回廊が連なる左右対称の社殿配置となっています
尾張造の見分け方として上記の特徴が当てはまっていれば尾張造なのですが
神社の規模によって渡殿の規模や回廊の有無が若干異なる場合があり、少しややこしさがあります。
尾張名所図会などの資料を見る限りでは見分け方にはいくつかの特徴が見られました。
見分け方①:本殿から蕃塀までが左右対称のシンメトリーになっている
見分け方②:拝殿が「切妻造妻入り」となってる
見分け方③:本殿と拝殿の間には祭文殿がある
神社建築に関しての記事
尾張造の起源について
尾張造の起源ははっきりとしたことはわかっていません。
いつから始まったのかなど記録が残っていないようです。(←神社の図鑑調べでは・・・)
しかし、尾張造という他の地域に見られない建築様式を独自に採用していることから
尾張国は相当力を持った国だったことが考えられます。
ここからは僕の推測なのですが
尾張国は古事記や日本書紀といった正史には活躍の記述はほとんど書かれてはいませんが
様々な歴史書を読んでいると古代の日本において相当な力を誇っていた豪族の住む地域だということを感じます
神社建築一つをとっても本来、祀られる御祭神によってその建築様式が決まる場合がほとんどです。
尾張国では御祭神に関わらず国で採用されている建築様式「尾張造」が使われている神社がほとんどです。
現代を生きる我々からするとそれほどすごいようには感じませんが
古代・中世の日本では祭事に関する事柄は国の重要事項でもあり、地方の国が独自に決めていいものではありませんでした。
このことから尾張造がいかに歴史的・文化的に重要であるのかということがわかります。
尾張造を採用している神社
尾張造は尾張国を象徴する神社建築であるが現存する尾張造の神社は少なくなっています。
明治以降に創建された神社や建て替えられた神社は尾張造の建築様式は採用されず
一般的な様式が用いられています。
現存する尾張造の神社はほとんどが式内社となっており有名どころの神社でいうと
真清田神社・尾張大国霊神社・大縣神社・田縣神社などが挙げられます。
尾張国の式内社に訪れた際には尾張造の建築様式も意識して見てみるとより神社が楽しくなります!
おまけ:尾張国では鳥居は潜らない!?
最後にちょっとおまけ的なお話です。
尾張造といい尾張国には独自の文化が根付いていたことがわかっていただけたと思います。
神社に対する文化でもう一つ尾張国独自の興味深い文化があったようです。
それは、尾張国では鳥居はくぐるものではなかったようです。
一般的な考えでは鳥居は神域との結界であり、潜ることで参拝者の穢れを払い落とす役割を担っているものです。
尾張国ではこの考え方の文化ではなく、鳥居は神様の通るものとして人は通ってはならないと考えていたようです。
その証拠にってわけではありませんが尾張国に残る神社の鳥居にはほとんどの場合に鳥居の外側に人が通れるスペースが設けられています
とても不思議で魅力的な文化を持った国ですよね!