ころんくん
わん!旅マガ案内犬のころんだよぁ!
今回は熱田神宮の正門「海蔵門」について解説するわん!
今回の記事は、熱田神宮にかつて存在していた幻の正門「海蔵門」についてご紹介していきます。
熱田神宮に正門?
鳥居じゃないの?
熱田神宮に訪れたことのある人なら正門があったなんて想像もできませんよね。
現在の熱田神宮には門らしいものはなく立派な鳥居が参道にそびえているだけです。
しかし、江戸時代・明治時代には確かに正門が存在していたのです。
今となっては、姿形は全く残しておらず幻の正門となっています。
この記事では、かつて存在していた幻の正門「海蔵門」について知ってもらい
熱田神宮の歴史を感じて頂ければと思います。
目次
熱田神宮の旧国宝「海蔵門」とは
海蔵門は別名「海上門・南門」とも呼ばれる門です。
その歴史は、元亀2年(1571年)織田信長が熱田神宮社殿の修復工事を行なった時に新たに正門として建てられたのが海蔵門の始まりです。
そこから374年後の1945年昭和に起きた第2次世界大戦の名古屋大空襲によって海蔵門は焼失してしまいました。
それ以降は、再建される予定もなく現在に至っています。
おそらく戦後復興する予算を捻出することができなかったんだと思われます。
海蔵門の大きな特徴としては、現在も熱田神宮で見ることのできる信長塀と繋がっているということです。
東海道名所図会からも海蔵門の存在が確認できる
東海道名所図会は江戸時代後期に刊行されていた旅行誌のようなものです。
その中に尾張名所図会にある熱田神宮の境内を書き記した絵に本殿の正面に海蔵門が建っていることがわかります。
当時の海蔵門があった場所
現在の熱田神宮と海蔵門のあった当時の熱田神宮では本殿の位置などが若干異なっています。
古地図と現在のマップを兼ねて確認すると
ちょうど神楽殿のあるところが本殿だったと推測できます。
その証拠に神楽殿の裏には土用殿が現在もあるのでおそらく確かな位置だと思います。
さて、話を戻します。
海蔵門は正門であり本殿の正面にあった門です。
そして、信長塀と繋がっている門です。
これらの条件から海蔵門の場所を推測すると
ちょうど信長塀の看板が置いてあるらへんではないでしょうか
さらに尾張名所図会を見てみると六末社が並んでいます。
現在の熱田神宮も同じ場所に六末社があるのでこの場所だと思います。
この場所にかつてたくさんの参拝客を通した立派な正門があると思うと考え深いものがあります。
【神宮四門】熱田神宮は海上門含め四つの門が存在していた
最後に神宮四門についても触れておきます。
この記事では旧国宝の海蔵門について詳しくご紹介してきました。
しかし、熱田神宮には海蔵門と同じくらい重要であった門が他にあと3つありました。
東の門こと「春敲門」
西の門こと「鎮皇門」
そして開かずの門「清雪門」
これらの門を当時の人たちは神宮四門と呼び大変多くの観光客で賑わったようです。
当然神宮四門も尾張名所図会に記載されています。
だが、海蔵門と同様に先の空襲にて焼失してしまい
現在ではその姿を見ることはできなくなっています。
しかし、開かずの門「清雪門」だけは空襲の被害から運良く逃れ
現在の熱田神宮内で我々も見ることができます。
興味のあるたかはぜひ清雪門を見ておくのもいいと思います。