今回の記事は、「延喜式神名帳」について詳しくご紹介していきます。
延喜式神名帳は平安時代の延長5年(927年)にまとめられた日本全国の神社図鑑です
神社は日本の文化を語る上では外すことのできない特別な存在です。
延喜式神名帳に記載されている神社は全て今から1000年以上前には
確実に存在していたことがわかっているものばかりで
古代神社史の基礎資料として研究されています。
現在では延喜式神名帳に記載されている神社には「式内社」と言う社格もついているほどです。
この記事では、延喜式神名帳がどんなものでどのような役割を持ったものなのかをできる限りわかりやすくお伝えしています。
ぜひ大人の教養として学んでみてください!
目次
延喜式神名帳とは?
延喜式神名帳は、「延喜式」と呼ばれている三代格式の一つである書物の九巻と十巻に掲載されている一部で
延長5年(927年)に全国の神社2861社3132座をまとめた平安時代の神社図鑑です。
図鑑と言っても神社に祀られている神様や由緒などの記載はなく
神社のある国や社格の大きさが書かれているシンプルな一覧表です。
現代において延喜式神名帳に記載されている神社は
「延喜式の内に記載された神社」という意味から「式内社」または「式社」という社格がついています。
式内社かどうかを確認する一番簡単な方法としては
神社の正面鳥居の横にある社名が掘られている石標を見れば社名と一緒に掘られていることが多いです。
祈年祭を行うために神名帳は活躍していた
古来の日本の神道では祭祀はとても重要なものでした。
その中でも毎年2月17日にその年の五穀豊穣などを願う「祈年祭」はとても重要視されていた祭祀でした。
元々は農民である民衆が田の神様に豊作をお願いするものでしたが
7世紀後半の天武天皇の時代あたりから中国の大祀祈殻の考えを取り入れ
国が中心となって行うものになったのが「祈年祭」です。
当時の祈年祭は宮中の神祇官と呼ばれる場所で行われていました。
神祇官には神名帳に記載されている全国の神社の神職が集まって
祝詞と幣帛をもらって自分のところの神社へ持ち帰って神様に捧げるというものです。
しかし、第二次世界大戦後の日本ではGHQによって国家神道は解体され
国として行われていた祈年祭はなくなり、現在では天皇家が私的な祭祀として行っているものになってしまいました。
幣帛は神様へ捧げるもののことを言います。
布帛、衣服、武具、神酒、神饌など
4つに分類されている延喜式神名帳の社格
延喜式神名帳に記載されている神社には4つの社格に分類されています。
- 官幣大社(官幣社)
- 国幣大社(国幣社)
- 官幣小社(官幣社)
- 国幣小社(国幣社)
これらの社格は上でお伝えした祈年祭の時にもらえる幣帛が大きく関係しています。
「官幣社」と「国幣社」の違いについて
祈年祭はとても重要な祭祀なので基本的に参加しなければいけないものです。
しかし、宮中(平安宮:京都)から遠い神社は結構負担になりますよね?
財力のなる神社ならまだしも小さな神社だと大変なことが想像できます。
そこで考えられたものが「官幣社」と「国幣社」です。
「官幣社」は今まで通り宮中の神祇官で幣帛を受け取る神社。
「国幣社」は宮中ではなく国司から幣帛を受け取る神社。
故に「官幣社」には宮中のある畿内が多く振り分けられており
「国幣社」は畿内以外の遠方が多いというようになっています。
しかし、天皇家にとって重要な神社は遠方でも「官幣社」となっています。
鹿児島神宮・熱田神宮・宇佐神宮・鹿島神宮など
大社と小社の違いについて
大社と小社はその神社の重要度や社勢によって考えられているとされています。
延長5年(927年)の時点でのその神社の大きさがわかります。
他にも大社と小社では幣帛が置かれる台の高さが違うようです。
イメージひな壇に置かれる上段が大社で下段が小社ということです。
- 官幣大社 198社304座
- 国幣大社 155社188座
- 官幣小社 375社433座
- 国幣小社 2133社2207社
式内社の中には、祈年祭以外でも幣帛を受け取れる祭があります。
- 名神祭
- 月次祭
- 相嘗祭
- 新嘗祭
名神祭を行う神社は名神大社とも呼ばれ一つの社格にもなっています。
明らかになっていない神社「論社・比定社」
現代において式内社となっている神社は必ずしも延喜式神名帳に記載されている当時の神社ではありません。
延喜式神名帳は延長5年(927年)に完成したもので今から1000年以上も前のものです。
当然歴史が流れるにつれていろんなことが起こっています。
社名や祭神・鎮座地などが変更されたり、他の神社に合祀されたり、荒廃した後に復興されたりと様々な出来事が起こっていると考えられます。
現在も延喜式神名帳の研究は行われており、各神社の由緒や伝承などから本当に当時から存在していた神社であったのかなどが研究されています。
その中で式内社が複数になることがあります。
これを論社または比定社と呼びます。
例えば、尾張国の中島郡には坂手神社という式内社があります。
坂手神社という名前の神社は一宮市に存在しているのですが
由緒や記録を見ると稲沢市にある日吉社だという説もあります。
延喜式神名帳に記載されている名前と一致するのは一宮市の坂手神社なのですが
その坂手神社が式内社であるということを証明するものもないので
可能性のある日吉社と共に坂手神社の論社または比定社として呼ばれています。
延喜式神名帳に記載されなかった神社「式外社」
延喜式神名帳は平安時代に全国の神社をまとめた図鑑です。
しかし、全ての神社がまとめてあるわけではありません。
これには政治的要素が大きく関係していると言われています。
延喜式神名帳に記載されている神社は基本的に朝廷から重要視されていた神社を中心としてまとめられています。
つまり、延喜式神名帳が作成された時に朝廷と敵対するまたは反対する勢力の神社は延喜式神名帳には記載されていないようです。
このような神社を式外社と言います。
式外社は、平安時代に存在していたにも関わらず延喜式神名帳に記載されていない神社のことを言います。
- 山城国:石清水八幡宮
- 近江国:白髭神社
- 肥前国:温泉神社
- 日向国:高千穂神社
式内社巡りをして日本の歴史を体感!
延喜式神名帳についてどんなものなのかわかりましたか?
式内社は1000年以上歴史のある神社。
それをまとめてあるものが延喜式神名帳と言うことです。
式内社の由緒やその歴史を学ぶことで日本の歴史またはその土地の元々の姿を感じることができます。
当時の人々がどのようにしてその神社を信仰して生活していたのかなど
面白い発見がわかることもあります。
式内社はただ参拝すると言うより歴史にも目を向けてみるとより楽しくなると思うので
ぜひあなたの地元にある式内社について調べてみて足を運んでみてください。
このサイトでは式内社を中心に神話や歴史から楽しむ神社の情報を記事にしています。
図鑑として神社参拝のお役に立てたら嬉しいです。