ころんくん
今回の記事は、三種の神器である「草薙剣」がなぜ尾張国に祀られているのかを紐解いていきたいと思います。
三種の神器といえば、「鏡」「剣」「勾玉」を古代日本より、天皇家が大切に代々継承してきた宝物です。
いわば、天皇が天皇である証としてきた大切な宝物といえます。
そんな大切なものが尾張国の神社になぜあるのか不思議に思いませんか?
本来なら宮中もしくは伊勢神宮が保管するのが道理であるはずなのに
一豪族の治める国「尾張国」にあるという・・・
この記事では、神話の話ではなく実際に「草薙剣」がなぜ尾張国に祀られているのかを考えていきたいと思います。
尾張国は謎の多い国として考古学的にも知られ、その正確な歴史は未だに明らかにされていません。
この記事では、そんな謎の多い尾張国に草薙剣が祀られているのかを当サイト「神社の図鑑」が独断と偏見で考察しているので、一つの可能性として楽しんで読み進めてもらえればと思います。
目次
謎の多い国「尾張国」とは
本題に入る前に尾張国について見ていきます。
冒頭でもお伝えしましたが尾張国は非常に興味深く、謎の多い国と言われています。
古代より天皇家と関わり合いを持ち、第5代孝昭天皇の御代には尾張出身である世襲足媛を皇后に向かい入れられるなどしているが
その実態は明らかにされておらず、ヤマト王権での立場なども謎とされています。
尾張国の謎①:ルーツが未解明
尾張国は尾張氏によって繁栄してきた国です。
尾張氏は天火明命を祖神としてきているが
この神が謎に包まれていて、天孫族の饒速日と同一神と言われているが実際のところどうなのか解明されていません。
故にどのような系譜を辿ってきたのかが未解明です。
尾張国の謎②:ヤマト王権との関係性
尾張氏は第5代孝昭天皇の御代には皇后を出すなどして、かなりの力を持った一族だと推測できます。
しかし、古代日本において最大の王朝であるヤマト王権の建国にどのように携わっていたのかがわかっていません。
日本最古の歴史書と言われている古事記や日本書紀などにもヤマト王権と尾張氏との関係性が明記されておらず、謎とされています。
ただ単に建国には関わっていないものと考えてしまうところですが
ヤマト王権初期の都があったとされる奈良県:纏向遺跡には尾張系の土器が多く出土したことで尾張氏とヤマトの関係が密接であったことが証明されています。
尾張国の謎③:活躍が歴史から消されている
ヤマト王権との関係でも触れましたが、2000年を超える日本の歴史には尾張氏の活躍はほとんど残っていません。
部分的ではあるが「壬申の乱」の時に大海人皇子(後の天武天皇)を支援した中心的な勢力が尾張氏だったことは描かれているがその前後の記録が驚くほど少ないです。
これらの謎を考えると意図的に歴史の表舞台から隠蔽されているように思えてきてしまいます。
天皇家に皇后を出し、その子供が代々天皇へとなっている事実を考えると尾張氏の力は当時の一般豪族とは一線を画していることは明白です。
なのに目立った活躍の記録も残されておらず、挙げ句の果てには三種の神器である「草薙剣」がポツンと尾張氏の治める国に祀られているというよくわからないことになっています。
【尾張国と草薙剣】 なぜ三種の神器「草薙剣」が尾張国にあるのか?
それでは本題に入って行きたいと思います。
草薙剣はご存知の通り、愛知県名古屋市にある「熱田神宮」の御神体として祀られています。
古事記や日本書紀、熱田神宮などの記録によるとヤマトタケルが尾張国の姫「ミヤズヒメ」と尾張国で婚約し、
草薙剣を妻に預けたままこの世を去り、ミヤズヒメは大切な神剣をこのままにしておくわけにはいけないと思い、
適切な場所に祀るために創建したのが熱田神宮ということが明記されています。
熱田神宮に三種の神器「草薙剣」があるのはなぜ?歴史と理由をわかりやすく解説!
つまり、天皇家の王子であるヤマトタケルが草薙剣を腰に下げて尾張にやってきて
そのまま尾張の娘と結婚し、草薙剣を家に置いたまま出先で死んでしまい、なぜか草薙剣は天皇家に返還されず、地方の国(尾張国)に2000年近く祀られたままとなっている。
ちょっと違和感を覚えませんか?
草薙剣は古代日本から三種の神器として大切にされてきたものです。
そんなものが一豪族の国が勝手に神社を創建して祀るようになったのは些か疑問を覚えてしまいます。
以前の記事でお伝えした「ヤマタノオロチの正体について」の中でも記述した内容ですが
草薙剣はもともとは出雲国の奥出雲にて誕生した剣だと考察しました。
伊勢の地や誕生の地に戻されたならまだしも、草薙剣とは何の縁もゆかりもないところに祀られているのはなぜなのでしょうか?
考えられる理由に古代尾張氏の力が強大だった可能性があります
世界の歴史を見ても歴史というものは例外なく、時の王朝の都合のいいように記されているのがほとんどです。
日本は世界に比べると割と正直に歴史を残していると言われているが
やはり、多少の改ざんなどはあると想定した方が自然です。
日本は天照大御神が治める国なので天孫族(ヤマト)以外の記録は不要だが、敵対していたとされる出雲国のことも詳細に記されている
歴史に詳しい方ならわかると思いますが日本は天皇を頂点としているがいつの時代も政治はその時に力を持っている一族らが行なっています。
(平安時代では藤原氏といった感じで)
古代日本では尾張氏が相当な力を持っていて、権力の証とされていた剣「草薙剣」を天皇に代わって管理していたとすると尾張が草薙剣を大切に祀っているのも納得ができます。
話の辻褄を合わせると
崇神天皇の御代に鏡は宮中の外に祀られるようになります。
この時、鏡と一緒に剣も持ち出されたと考えられているが実際のところそんな記録は残されていないことから剣は別のところで祀られていた可能性があります。
その証拠に、草薙剣は天照大御神から瓊瓊杵尊に渡ってから記述がなく、第12代景行天皇の御代に伊勢にいる倭姫がなぜか所持していて、それを勝手にヤマトタケルに授けたと記録されています。
仮にここで歴史から消されていた「尾張」の存在が入るとしたらどうでしょうか?
草薙剣は当時、実権を握っていた尾張氏が管理(祭祀)を任されたと仮定すると・・・
古事記や日本書紀によると天照は「鏡を私だと思って祀れ」といっていることから
勾玉と剣に関しては天孫が祀らなくてもいいようにもとれます。
以来、草薙剣が尾張氏によって祀られてきたとすると古事記や日本書紀ではヤマトタケルの東征を使って草薙剣を尾張国に渡す流れを作ったとも考えられます。
仮のこの考察が事実だとすると、三種の神器を皇族以外の一族が代々祭祀を行うというのは天皇家の権威に欠けてしまうと考えられます。
だから、必要以上に尾張という存在を伏せていたのかもしれません。
まとめ
今回の考察はどうだったでしょうか?
尾張国と草薙剣の関係性について僕の知る限りの情報をもとに角度を変えて考えてみました。
尾張氏が三種の神器を祭祀するという考えはちょっと無理があるかもしれませんが
可能性としてはゼロではないように思ったので考察のひとつとしてお伝えしてみました。
そうじゃないと尾張国に草薙剣が祀られる理由が思い当たらなくて・・・
ヤマトタケルと草薙剣の神話は話としては面白いのですが
どうしても作り話感を強く感じていまして・・・
ヤマトタケルと尾張国の婚約は天皇家との結び付きを暗示するためのパートだったのではないでしょうか?
ヤマトタケルという天皇家の英雄を尾張と結びつけたことによって草薙剣を祀る場所としての整合性をとったのかもしれません。
実際のところ正確なことは歴史の彼方なので、この記事でお伝えしてきた内容はあくまでも考察の域を出ない内容となっています。
それぞれ自分の思う歴史を妄想してみてください!
最後までご愛読いただきありがとうございました!