ころんくん
今回の記事は尾張津島天王祭について詳しくご紹介していきたいと思います。
天王祭は愛知県津島市にある津島神社の祭礼で昔から夏になると行われている大祭です。
祭りのクライマックスである宵祭りは全国の夏祭りの中で最も豪華絢爛といわれるほど
華やかな光景が広がります。
今回の天王祭は天候やコロナの影響で延期に延期を重ね
なんと令和初の6年ぶりの通常開催となりました。
たくさんの人が心待ちにしていた宵祭りを見てきたのでその様子も併せてお伝えしています。
尾張津島天王祭は行けばわかる最高の祭りなので
ぜひ足を運んで幻想的な世界を目に焼き付けてください!
それでは行ってみましょう!
目次
尾張津島天王祭とは
尾張津島天王祭は愛知県津島市に鎮座する津島神社の夏の祭礼として
600年前から行われている疫病退散を祈願するお祭りです。
天王祭は毎年7月の第4土曜日の夜と翌日の日曜日の朝に行われる
「宵祭り」・「朝祭り」が最大の見せ場となっており
地元住民を始め、全国から多くの人が祭りの様子を一目みようと集まります。
中でも宵祭りは全国の夏祭りの中でも最も豪華絢爛な祭りと言われ
一年の日数を表す365個の提灯を並べた5艘の薪割り船が天王川公園内にある丸池を
悠然と進み人々を幻想の世界へと誘っていきます。
2016年にはユネスコの無形文化遺産に登録され
日本三大川祭りとして知名度を全国に轟かせています。
津島神社は戦国武将「織田信長」の氏神だったため
かつて織田信長はこの天王祭を天王橋から見ていたと言われています。
祭の始まりと歴史
尾張津島天王祭の正確な始まりはわかっていませんが
現存資料に「大祭筏場車記録」というものがあり
その資料には、大永2年(1522年)から車楽船の置物人形などが記されていて
今から600年ほど前の室町時代から行われている祭りだということがわかっています。
祭りの由来については諸説あるが以下の3つと考えられているようです。
- 南北朝時代に津島に逃れてきた南朝方の良王親王を守っていた津島の四家七苗字の武士を、北朝方の佐屋村の武士・台尻大隈守が船遊びを名目に討ち取ったことから行われるようになった。
- 西の海から市江島(現在の愛西市東保町)に着船した須佐之男命が、草刈りの子供が遊んでいるのを見て児の舞「津島笛」の譜を作り、その後疫病が流行した際に神様を慰めるために祭りが行われるようになった。
- 神泉苑に御霊を鎮め送った祭事が各地に伝播したもの。
尾張津島天王祭の流れ
尾張津島天王祭は7月の第4土曜日に行われる「宵祭り」と翌日日曜日に行われる「朝祭り」が見せ場として有名ですが
実はその前後に大事な儀式などを行っています。
祭りは儀式も含めて祭りなのでこの記事では尾張津島天王祭の細かいところまでご紹介していきます
稚児打廻(7月第4土曜日の前夜19時〜)
天王祭は宵祭りの前夜から始まります。
稚児打廻と呼ばれる神事で
祭りに奉仕する古式衣装を身に付け、花烏帽子を被った4歳から6歳の男の子を肩車し
津島神社の拝殿前まで連れていきます。
そこで三回打廻し、祭り本番の安全を祈願するものです。
神輿渡御(7月第4土曜日午前10時〜)
祭り当日の午前中には神輿渡御が行われます。
津島神社に鎮座している神様(御神体)を天王川公園北側の御旅所へと運び込む行事です。
神様に天王祭を観てもらい英気を養ってもらい疫病退散をしてもらうためです。
宵祭(7月第4土曜日午後21時〜)
宵祭りから天王祭は本番を迎えます。
尾張津島天王祭の宵祭りは全国の夏祭りの中でも最も豪華絢爛と称されるほど
美しい光景を目にすることができます。
一年を表す365個の提灯を灯した5艘の薪割り船が天王川公園の丸池をゆらゆらと幻想的に漂います。
丸池でのお披露目も見どころですが
その前の提灯付けも見ものです!
祭り人が一本一本丁寧に提灯を船に並べる様子は目を見張るものがあります。
朝祭(7月第4土曜日の翌日曜日午前8時〜)
宵祭りを終えた翌日の朝には「朝祭り」が行われます。
朝祭りでは宵祭りで使われた舟がガラリと印象を変え
能人形を乗せて再度丸池へ出港します。
この時、隣の愛西市から市江の車楽船が加わり6艘になります。
朝祭りの見どころは新しく加わった市江の車楽船から「布埃」を持った未婚の若い男たち10人が丸池に飛び込み、御神体のある御旅所まで泳ぎ、そこから津島神社まで走っていきます。
「布鉾」は悪霊、邪霊を打ち払う武器と考えられ
神社へ奉納することで神様が「布鉾」を使って悪霊や邪気を打ち払い
災難を防いでくれるそうです。
ちなみに丸池から神社まで「布鉾」を持った男たちが走ることで
道を清め、後で行われる「神輿還御」無事に終えるためでもあるようです。
神輿還御(7月第4土曜日の翌日曜日)
朝祭りを終えると天王祭も終盤へ
御旅所にある御神体を津島神社の本殿へと還します。
この時、稚児などが後に続くため行列ができます。
この行列が時代絵巻のようで美しいと評価されています。
児奏楽(7月第4土曜日の翌日曜日)
神輿還御が無事終わると最後に拝殿内にて児奏楽が行われ
尾張津島天王祭の幕が閉じられます。
祭の舞台「天王川公園」について
天王祭の舞台は天王川公園にある丸池となっているが
もともとは池ではなく天王川(津島川)という川が流れていました。
江戸時代に行われた日光川の工事によって合流する佐屋川の入江となっていたが
明治になると合流していた佐屋川が廃川になり今の丸池だけを残す形となったようです。
現在の天王川公園はただの池としか捉えられないのですが
このように時代の流れによって変化していったものの名残だと思うと考え深いものがあります
提灯が炎上!? 6年ぶりに通常開催した尾張津島天王祭の様子
今回僕が訪れたのは6年ぶりに通常開催した尾張津島天王祭でした。
台風やコロナの影響で延期を繰り返し
令和になって初めての通常開催でした。
去年も祭りは行ったようなのですが神事を中心としたもので
屋台などの出店などは出ていなかったようです。
やはり6年ぶりということで日が暮れる前から多くの人が天王川公園に集まり
ずらりと立ち並ぶ屋台でいろんなものを食べ食いしていました。
天王祭は津島神社が行っているお祭りなので
津島神社ではお祭り仕様の黄色い提灯が設置されていました。
午前中に神輿渡御が行われているため津島神社には一時的に神様が不在になっていますが
お参りをしていきます。
参拝後は天王祭限定の御朱印をいただきました。
それではいよいよ宵祭りです。
祭りの舞台となる丸池の横にある池で薪割り船に提灯が灯っていく様子を眺めていたら
一時的な強風によって提灯が燃え上がってしまいました。
これはあぶない!
下手をすると他に燃え移ってしまい大火事になってしまいます!
でもそこは冷静に対処してうまく鎮火することができました。
鎮火中、観客の子供が大きな声で「頑張れー頑張れー」って叫んでいたのがとても印象的でした
提灯一つひとつにロウソクが入っているため火災の危険があると言われて
電球でやるという話もあったみたいなのですが
やはりロウソクの火じゃないと炎の揺らぎなどが上手く出ず
幻想的ではなくなるということで危険を承知であえてロウソクの火を使っているようです。
6時から開始した点灯は3時間かかり9時に5艘の薪割り船全て準備が整いました
並んでいるだけでもとても見応えのある光景です
6年ぶりということで提灯の取り付けに苦戦したようで
ちょっと配列が乱れていますが幻想的でそんな細かいことは気になりませんね
ゆっくりと5艘の船が丸池へ出発していき
無事天王祭の宵祭りを飾ることができました
正直、これは毎年見る価値はありますね!