仁徳天皇の御代、飛騨山中に両面宿儺という凶族が天皇に背いて猛威を振るい人民を脅かしていた。
征討将軍の勅命を受けた難波根子武振熊命は、官軍を率いて飛騨に入った。
武振熊命が、当時の先帝応神天皇の御尊霊を奉祀し、 戦勝祈願をこの桜山の神域で行ったのが創祀と伝えられる。
その後、聖武天皇の御世と清和天皇の御世に諸国に八幡宮が祀られたとき、飛騨ではこの神域を八幡宮境内と定め御社殿は整えられたといわれる。
室町時代の大永年間、京都の石清水八幡宮を勧請し更に郷人の敬神思想は高められたが、その後戦乱の時代が続き一時荒廃していた。
元和9年(1623)高山の領主金森重頼は、江名子川から発見された御神像を八幡宮旧跡の桜山老杉の傍らに応神天皇の御神体として奉安し社殿を再興、神領を寄進し、高山の安川以北を氏子と定め、神事を管理高山府の総鎮守府とした。
飛騨が天領となってからも、地域住民をはじめ代々の郡代の篤い崇敬を集めて興隆の一途を辿った。
明治4年(1871)郷社に指定、同8年に高山の大火にあい、惜しくも秋葉社を除いてほとんど類焼したが、同33年に御社殿を復興、昭和7年に県社に指定、同26年に式年大祭再興、昭和43年屋台会館完成、同51年に総檜造りの本殿並びに拝殿・神門・瑞垣の御造営と神域は見違えるようになり、別表神社に加列、同55年社務所参集殿を改築、同56年5月飛騨国中300余社の神社を招請して式年大祭を再興し今日に至る。
当桜山八幡宮は、氏子崇敬者の信仰にささえられ、当神社の例祭は「秋の高山祭」として全国からの参拝者で賑い、年間を通じて150万人の参拝者がある。
境内写真
所在地 | 岐阜県高山市桜町178 |
創建 | 仁徳天皇65年(378年頃) |
本殿の様式 | 不明 |
社格等 | 旧県社・別表神社・金幣社 |
御祭神 | 応神天皇 |
御朱印 | |
アクセス |
車の場合 中部縦貫自動車道「高山IC」より3.8km 約7分 公共交通機関の場合 JR高山本線「高山駅」から1.6km 徒歩約23分 |
参拝時間 | 24時間 |
授与所・社務所 | 9:00~17:00(12月から2月は~16:30) |
電話番号 | 0577-32-0240 |
公式HP | http://www.hidahachimangu.jp/index.html |
神紋 |
八重山桜紋 |
境内社
ー 秋葉神社 ー
御祭神
火結神
ー 天満神社 ー
御祭神
菅原道真公
ー 稲荷神社 ー
御祭神
倉稲霊神
ー 琴平神社 ー
御祭神
大物主神・崇徳天皇
ー 照前神社 ー
御祭神
浪速根子武振熊命